Yasuhabitat

Love the Life You Live, Live the Life You Love | 歩みたい人生を歩むための挑戦記

なぜ、「ドキュメンタリー」なのか?

映画学校でも、世間一般でも、ドキュメンタリーってフィクションに比べると少数派なので、「なんでドキュメンタリーなの?」という質問を時々受けることがある。

 

正直言うと、ちゃんと台本のあるフィクションの方が綿密にストーリーが組み立てられている分、面白いし分かりやすいと思う。だから自分が観る分にはドラマ系のフィクションも好き。でも、作る側に立つとやっぱり「フィクション」じゃなくて「ドキュメンタリー」だよなって思うのだ。

 

映画制作は私にとって「表現の手段」

 

つまり、文章を書いたり、絵を描いたり、スピーチするのと一緒。映画制作の道に足を踏み入れたきっかけは「自分なりの表現手段を持ちたい」という理由だった。

私は長いこと「表現しない」生き方をしてきた。いや、くだらないわがままはよく言っていたけれど、心の内にある肝心な部分をずっと隠してきたのだ。表に出したら否定されるんじゃないか、バカにされるんじゃないか、くだらないと思われるんじゃないかって。

でも、あるときから「自分の中にあるものを表現することで、人と繋がりたい」って思うようになった。それは、「誰かが表現してくれたものに自分を重ね合せることで世界(観)って変わるんだ」ってことに気づいたから。

 

自分の中にあるもの、特に興味や関心はあるのだけれど自分でもよくわからないものを表現したい。その裏にあるモヤモヤした気持ちも含めて。そういった分からないものを探求するプロセスや葛藤をも映し出したいなって思う。つまり、最初から答えを知っていて、それを伝えるために映画を作るのではなく、答えを見つけるために映画を撮りたい。そしてその過程を観客と共有したい。だから、最初から台本があるフィクションではダメなんだ。小説ではなくてブログを書いている理由も同じ。

 

そもそも「ドキュメンタリー」って?

 

Wikipediaによると、

「取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」

 とある。たぶん、ほどんどの人がこう思っているんじゃないかな。

 

さらに、中には

制作者の意図や主観を含まぬ事実の描写」 

と考える人もいるかもしれない。

 

私もちょっと前まではそう思っていたし、誰かに見てもらうならば上のような想いを抱きつつもそれは外に出してはいけないことのように感じていた。見てくれる人が持っているある種の「ドキュメンタリーに対する期待」のようなものを裏切ってはいけないと。相手が理解しやすい例えを用いて何かを伝えることが大切なように、ストーリーを受け入れてもらうには観客が一番受け取りやすい形で届けるのが最適だと。そう思っていた。

 

でも、デンマークに来てから考えが大きく変わった。既成概念の枠にはまりきらないドキュメンタリーばかりなのだ。ドキュメンタリーとして日本で上映したらクレームになりそう(笑)というものもたくさんある。

 

ドキュメンタリーの最初の授業で「ドキュメンタリーは何か?」の問いについてディスカッションしたり、色々なタイプのドキュメンタリーについて学んだ後で、みんなが腑に落ちたドキュメンタリーの定義は「なんらかの形で『リアル』な要素が含まれていること」だった。

 

ドキュメンタリーの手法の一つに、re-enactmentと呼ばれるものがある。これは、実話に基づいた再現映像のこと。一番身近な例でいうと、映画ではないけれど仰天ニュースのエピソードみたいな感じの映像。

 

映画でも「実話に基づいたフィクション」って結構あると思う。というか、ほとんどの映画が実生活・実体験の中からアイデアが生まれてストーリーへと組み立てられていくと思う。

 

つまり、「フィクション」とか「ドキュメンタリー」っていう分け方自体がかなり曖昧。でもそれは言いかえれば、「フィクションorドキュメンタリー」という2択だけじゃなくて、もっと自由に考えていいってことだと気づいた。

 

今の私が考える撮りたいスタイル 

 

私は「ドキュメンタリーが撮りたい」とずっと言い続けてきたけれど、私が撮りたいのは「ドキュメンタリー」、つまり「リアル要素」が含まれている作品であることだけではない。

 

私の言っていた「ドキュメンタリーが撮りたい」は「観察映画が撮りたい」と言い換えた方が適切だと思う。つまり台本がなく、次に何が起こるのか正確に分からない状態で撮りたいテーマや人物にフォーカスしてカメラを回し続けるスタイル。自分の中にある「問い」を方位磁針がわりに撮影を進めていくイメージ。

(ちなみにドキュメンタリーの撮影の基本は、まずテーマに対してリサーチをした上で全体の構想を立ててから、それを軸に取材で肉付けしていく方法。ドキュメンタリーと言えど、何もない状態で撮影を始めるのは終わりが見えないためリスクを伴う。

 

そして最近、↑のスタイルで撮影した映像に、少しだけ手を加えたいって考えてる。冒頭でも少し書いたように、私にとって映画制作は「自己表現」の手段。でも、「客観的でなければいけない」という葛藤を抱えていたけれど、こちらに来てからそれは不可能であることを知った。映像はあくまでも撮影者の視点から切り取られた情報だから。

 

そして事あるたびに、意外にも「自分を作品に含める」という視点からのアドバイスをいただく。客観的であることなんて求められていなくて、「自分にしか作れない作品を作りなさい」と言っていただくことが多い。とっても嬉しいしほっこりした気持ちになるんだけど、未だに若干抵抗があってうまくできない。でも、本当は一番したいこと。

 

だから、まだ試したこともないし、うまくいくか分からないけれど、カメラには直接写せない私の心の声、疑問、葛藤といった制作の根元にあるものを、合成、アニメーションやナレーションという形で撮影した映像と組み合わせて一つの作品に仕上げていきたいなって思ってる。そして、これらがストーリーを進めていく上でのガイド役となってくれたら、伝えたいことがより分かりやすくなるのかなという気がしている。